腰痛はココロとカラダの悲鳴である
人間は生まれたときから日々老いて行き、死に向かっている。誰もそれを止められはしないけれど、少しでも良好なコンディションを保てるように、そして心身の故障を起こさないように工夫する。これが私の考える養生。決して健康維持のためのものではない。
20代の頃、腰痛が始まって止まらなくなった。寝ても、起きても、立っても、痛い。病院に行っても原因はわからないという。
何人目かの腰痛専門の医者を訪ねたとき、「病気に完治はない。いかに状態を鎮めるかだ。」と言われて、なるほど、と思った。
その腰痛が、公務員の仕事をやめた途端出なくなった。ぴったりとおさまって、以後何十年も出ていない。公務員をしていたころの辛い気持ちは以下の記事で書いた。あの腰痛は、私の心とカラダの叫びだったのではないかと、今になって思う。
私はこの経験から、養生ということを学んだ。
自分自身の身体のメッセージを読み取り、
その身体の為に、無理のない継続できる方法を見つけ、
自分自身の責任において、それを死ぬまで続けろ。
養生とは、そういうことに尽きるのだろう。
その身体の悲鳴に耳を傾けるには、普段から「気づく力」を養っておく必要がある。
ダメージが起きてしまってから、あたふたしないように、普段から些細なサインを感じ取っておくことの大切さは、人間関係でもビジネスでも、そして健康管理でも同じだ。
自分の心の「クセ」をよく理解した上で、バランスが壊れそうになったら、そこでハッと立ち止まる。そして引き返す。
その振り子の幅を小さくしたり、大きくしたりしながら生きていくことで、バランスの取れた心身になっていくという気がする。